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アマテラスの目覚め
―女性が目覚めると社会は変わる―

 画家・作家 はせくらみゆき

【主婦という社会資産】

 現在、社会の中で、活躍する女性が、確実に増えてきています。
それは本当に、喜ばしいことだと思います。しかしながら、
その渦中において、活動していく女性の取り巻く環境―とりわけ、
精神的側面を考えると、必ずしも良いとは言えない環境下にあることも、
だんだんわかってきました。
 この寄稿が、そうして、今、頑張っている女性たち、そして、
その女性たちと共同創造しながら、新しい社会のありかたを模索している男性陣に、
ささやかでもエールを送ることができますように、
と願って、筆を進めさせていただきました。

 まずは、私自身のことからお伝えさせていただきますと、
職業はアーティスト&アートセラピストで、同時に物書きでもあります。
でも、一番やっている職業は? というと、…「主婦」なんです、
というのが、正直なところです。少なくとも、職業を、費やす時間で表すなら、
圧倒的に主婦、そしてお母さん業をしているときの時のほうが多いからです。

 ところで、現在、家庭にいる女性が、自らの職業をいうときに、
「主婦」と呼ぶことに対して、何かしら自虐的な想いを抱えながら、
伝えている方が多いんですね。
なぜなら、その前後に、「なにもしていないんです」とか
「特に才能もなくて」…という言葉が続きやすいからです。
 そのたびに私は、ちょっとした違和感を覚えます。そのように、
主婦≒能力があまりない、といったセルフイメージを抱くこと自体が、
もったいないと思っています。
 かつて主婦とは、家庭における主たる地位を、名実ともに抱くことのできた、
誇り高き言葉でした。家計を預かったり、家族の健康管理や暮らしの向上を務めたり、
地域社会を支える牽引役となったりと、様々な面で、夫を支えながらも、
実は陰でしっかりとリーダーシップを発揮している、
そんな役割を果たす女性のことを「主婦」と呼んで、家庭という城を守っていたんですね。
ですので、妻にはなれても、「主」婦には、なかなかなれない、
といった憧れの存在が「主婦」であったというわけです。
 ですので、才能がないと主婦にはなれません。
時間を管理する能力、様々なことを同時にこなす能力、
家族や周りの健康管理をする能力と知識。
円滑なコミュニケーション術、食から教育、暮らしの質向上、
資金管理術や人生指針まで、本当にマルチに能力が発露できていないと、
主婦業は務まらないのです。
だから、私は伝えたい―「主婦ってすごいよ」と。
私自身についていうと、最近ようやく子育ての手が離れ、
自分の時間がとれるようになりました。
そこで、一年前より本格的に活動を始めることにしたのですが、
スタートしてみて驚いたのは、仕事の質や対人関係、企画力や調整力、
そして仕事を同時並行でこなしていく能力など、以前よりぐんとアップしていたことでした。
 一例をあげると、数か月前、はじめての誘導瞑想CDを出すために、
FM東京で収録に臨んだのですが、初めての収録にもかかわらず、
なぜか原稿がすらすらと読めるのですね。
つまり、情感をイメージしながら読むことに「慣れている」のです。
しまいには、収録担当の方から、「何かアナウンサー的な仕事を、やっていたのですか?」
と聞かれ、私自身、わけがわからず、首をかしげてしまいました。
 なぜだろう? と思い、ハッと気づいたんです。
それは、毎日、数十冊読んでいた(読まされていた)、
絵本の読み聞かせにほかならないことを。
三人の子どもたちに続けていた12年間の時・・・あの頃のことを思うと、
日々の読み聞かせは、楽しいばかりではなかったのですが、
当時の経験が、時を経て、こんなふうに役立つなんてと思うと、しみじみ嬉しくなりました。
 また、対人関係の妙も、家族間をはじめ、PTAの役員や子供会、
地域とのつながりを通して身に着けたものですし、
いろんなものを並行してやる能力は、まさしく主婦業のなせる業です。
主婦という「職業」から派生するマルチプルな能力、その能力をどんどん活用し、
社会へと還元する時期がやってきているのだと思いました。
 その意味で、主婦は「社会資産」であり、同時に、
すべての「女性」が持つ、素晴らしい資質を生かしながら創っていく、
様々なしくみづくりやコミュニティー、こうした取り組みが、
新しい時代を拓く大事な鍵であると思っています。

【社会進出する女性たち】

さて、女性の時代といわれて久しい今、各方面で女性の活躍が目立ち、
影響力を与えるようになってきて本当に素晴らしいことだと思うのですが、
よく見てみると、よく見てみると、そうした女性たちが、生き生きと元気に、
仕事や社会とかかわっているのかというと、どうもそうとはいいきれないようです。
 男性社会の中で、必死に負けまいと肩ひじ張りながら、
やらざるを得ない状況が続いたり、家事、家庭との両立、
過度のストレスからくる体調不良など、様々な悩みを抱えた
ワーキングレディーがとても多いことに気づかされます。
 私は8年前より、「宇宙の本質」に沿った生き方と、
その実践を、セミナーを通して開催しているのですが、
そこで、悩みを抱えている女性たちから、たくさんのご相談を受けていました。
私自身も、25年間、家事・育児をしながら仕事を続けてきましたので、
彼女たちが伝える悩みや懸念はよくわかり、お話を伺いながら、
私も泣いてしまうことがあります。
 とはいえ、その本質的なところはなにか、ということを冷静に俯瞰すると、
これは男性にも女性にも当てはまることなのですが、
「自分には変化を起こすだけの力がない」と決めていること
であり、自己の価値を低く見積もることで、現実変容の突破口が開けず、
その現実でいることを「選択」していることが、一番の根底にあるのでは? 
と思うようになりました。

どういうことかといいますと、私たちが観ている世界は、
信じるものを信じたように見て、見たいものを見たいように見て、
それが現れている世界に生きていますので、
自分が見ている世界=自分が信じている世界なのです。
 つまり、信じる限界が現れる限界になる、ということです。
 世界は自分にとって厳しいと規定するならば、
きちんと厳しい世界が展開されていきますし、
自分は取るに足らない存在なのだと規定すれば、
自分を取るに足らない存在として扱われるような人に出会い、
現象が現れ、その世界の住人となります。
 言い方を変えれば、因が相手や現象にあるのではなく、
因となる自分の心の枠組みが、縁を呼び、果となって現れているだけなので、
要は、その因となる世界-ものの見方、自分自身が示す信念体系―を変化させることで、
果という表われの世界が変化してしまう、ということです。
 そしてこれは、理屈や知識を超えた、体感と経験、感性の世界であり、
顕在意識に加え、潜在意識が織りなす世界でもあるので、
ある意味、嘘がきかないのですね。
 具体的には、「私、信じています」と語っている段階では、
まだまだ信じるレベルが弱いということです。
言葉にすることも、考えに上ることもないほどに、当たり前のこととして受け入れ、
思いこんでいる念―これが、信念体系として刻まれ、
それが固定化されたニューロネット(脳神経細胞)の発火を呼び、
その人の信念を反映させた予定調和な現実を表すことになるからです。
 ですので、まずは、その自らかけた呪縛(その人が持つ信念体系ブロック)を解き、
自分本来の力を呼び戻さなければならないと思いました。
 その上で、自分自身の中に豊かさと自由が流れ込むことを赦し、
宇宙の法則性である、すべては生成化育発展しながら、
調和の方向へ進んでいっている「宇宙のリズム」と同調することが、
肝要ではないかと考えました。
 そして同時に、新たなる概念・・・といってもいのちの奥深いところでは皆、
すでに知っていた想いを共有し、女性の力を伸びやかに発揮してほしいと願いました。
 女性ならではの特性と得意分野-受容・包み込み・忍耐・優しさ・
強さ・したたかさ・直観力・洞察力・・・そのたおやかでパワフルな力が、
これほど求められている時代もないからです。

【アマテラスの目覚め】

そこで私は、被災者を支援している女性リーダーたちのお話を聞き、
仙台にて女性限定の講演&ワークショップ
「アマテラスの目覚め」を開催致しました。
その中にある想いを共有させていただきたいので、
案内文をご紹介したいと思います。

「アマテラスの目覚め―女性は皆、太陽です」
―生命を生み育む女が本気を出すとき、世界は変わる―

「元始、女性は太陽であった」と明治生まれの思想家、平塚らいてうは語った。
そうなのだ。女性とは、家庭や社会における、太陽のような存在なのだ。
しかし、長きの支配とコントロールにより、従属に慣れてしまった女性たちは、
自らの内にある力を忘れてしまっている。
本来、女性は、強くしなやかな存在。か弱くて、たよりなきものではない。
今、ここを思い出す時がきている。
それは、フェミニズムとか男女同権といった観念論や極性の世界ではなく、
圧倒的なイノチの響きから発信された―魂からのウェイクアップコールなのだ。
物質中心の競争原理による男性社会を憂いながらも、その男性を生んだのは、女たちだ。
女が、か弱き頼りない存在で安住している限り、男たちは頑張ることを強いられる。
今こそ、女性本来の働き―アマ(天の響きを生きるもの)として、暮らしの中の太陽となり、
愛ですべてを包み、照らし出すとき―アマ・テラスとなる時がやってきた。
それは、生きとし生けるものが皆、喜びの中で生きる新しいヤマト國の始まりだ。
「生命を生み育む女たちが本気を出すとき、世界は変わる」
まなざしに優しさを、唇にほほえみを、行動に愛をもって、想い、語り、動く。
女性の皆さん、あるがままの輝きと美を、放つ時がやってきました。
ご一緒に、のびのびと優雅に、
凛として歩んでまいりましょう。

 この案内文と共に、自らの役割や素晴らしさ、内なる可能性に気づき、
美と豊かさを享受しながら、二極性を統合すること、
日本人の役割と宇宙にある法則性、分かち合いと共感による
高次の精神圏を築き上げながら、いかにして生きるかというワークショップを開いたのです。
 ライブで進められた会は、大きな反響を呼び、
その後も、不定期ですが、日本各地で開かれることになりました。
何より、会を通して、女性自身のセルフ・エンパワーメントが高まり、
仕事や生き方に自信を持った女性たちが、生き生きと地域再生や、
コミュニティーの中で中核を現してきたことです。
 さて、この会の骨子にあるのは、大きく分けて、3つの心の在り方。

 一つめは、「太陽意識」で生きることで、
二つ目は、「統合意識」で生きること、そして、
三つめが「創造意識」で生きること、です。
 「太陽意識」とは、一人ひとりが、自らを太陽のような存在として、
周りを照らし、人生と自身に誇りと責任を持つ、ということです。
 今の自分を、まるごとすとんと受け止め、すでに足りないもの、
満足していないものにフォーカスするのではなく、
すでに満ちているもの、あるものを再認識して、「今の自分にちょうどいい」とすること。
 出逢う人も、見るもの、語るもの、お金も、住まいも、家族も、環境も・・・
それが、今の自分に与えられた素晴らしいギフトであり、
ここを「よし!」といって、ニコニコ・ほかほか、
太陽かあさんのような心で進みましょう、ということです。

二つ目の「統合意識」とは、分離から統合へ、
今までバラバラに存在していたものが統合へと向かう意識のことで、
それぞれの違いを認めて尊びあい、大いなる全体-ワンネス―を感じ合い
ながら生きていきましょう、ということです。
 とりわけ、今まで二極に分かれて存在することで、
ともすれば分離・対立を生んでいた世界から、極性とは、
実は単なる状態の違いに過ぎなかったのだ、ということを知り、
二極対立から融合へ、やがて統合へとシフトしていくことでしょう。
そう、二極は対立するものではなく、互いに補完し合うことで、
1+1=2以上の、大きな力を生むことになるのです。
男女の関係性もまさしくそうであり、互いを、
思いやりと共感の中で進むとき、統合の力からくるパワーは、
根源の一なるものとつながるので、とてもパワフルです。 

三つめは「創造意識」で生きる、ということです。
創造とは、結び(産霊)であり、何かが創られたり、
生まれたりすることです。
とりわけ、女性は、女性だけにしかできない結び―出産があります。
女性は、生命の本質である創造原理を、イノチを生み出す女として生まれたことで、
本質的、直観的に知っているのです。
これは、実際に出産経験の有無は関係ありません。
女性という性自体の持つ、本源的な性質なのです。
ここが、男性とは違う決定的な特質になります。
 かつて母系社会であった縄文時代を想うとき、
おそらく、生命を生み出すことが出来るという神秘と畏敬が、
女性に力を与えたのではないかと思うのです。まさに、母は強しですね。
 何かを生み出すということ、そして何かがおのずと生まれていくさま・・・、
創造という素晴らしい神じくみを、女性本来がもっている直観的な感性を持って、
その在り様を真っ直ぐな心とらえ、暮らしていくということです。
 そこにあるのは、判断や執着、批判といった、
自我中心の世界ではなく、受容、共感、喜び、
情熱といった、大いなる我と共に歩む世界です。

創りしものの心は、創られしものの中に宿っています。
 創られしものの中に、創りしものの心が一個一個やどっているのです。

 そう思いながら生きていくことで、カフェでコーヒー一杯飲むときも、
その人の手を通して天なる意識(神)がコーヒーを入れてくれたことになりますし、
同時に、そのコーヒー自体の中にも、神なる意識が宿っているのだと思いながら、
いただくことになります。
 すると、すべてが学びであり、喜びであり、有難きこととなるのですね。
そのような気持ちで、日々出会うものー人やモノやコトを通して表される
毎日の「創造」を、心を込めて丁寧につくり上げていきたいと思います。

【男と女の本源的な意味と役割】

 8月に私は、日本語五十音の本質的な意味を探った、
音の解体新書「おとひめカード」というツールを発表させていただきました。
これは、日本語の仮名五十音の音素がもつ、一つひとつの意味を、
アートと言葉よって表したものです。
音に感応した言葉の選択については、
主にカタカムナから紐解いたものをエッセンス訳(元型となる訳)、
縄文以降に発達したであろう言葉の数々をキーワード訳、
そして、それらの中から、代表的な一語をとったものを
ワンワード訳として、表現しました。
三層の訳があることで、直接的な表現から、
ふっくらとした情緒のある言葉まで、自在に表すことができるのです。
 そもそも、名前というのは、語ると、
それぞれに決まった音の連なりになるということです。
同時に、音というのは振動であり、周波数であり、
その本質は光であり、それぞれの音にあった、
量子場の動きや働きがあるのです。
いいかえれば、名前があるということは、
それぞれの音に対応した働きが存在するということであり、
同様に、固有の働きが組み合わさったものが、
名前の音になるのです。
それは、音をとおして、その名前の持つ本源的、
本質的な意味がわかるということを示しています。
 そのようにして、男という言葉、女という言葉をみてみますと、
お・と・こ = 偉大に統合されて、出来上がっていく存在
お・ん・な = とても奥深い核の存在

 という意味になります。
また、古来の言い方である ヒコとヒメは、

ひ・こ = 根源から出入りするスピリットが、完成へとむかっていく存在
ひ・め = 根源から出入りするスピリットが、やわらかく芽吹いていく存在
 ですし、神名でいうと、
い・ざ・な・ぎ = 光が活性化された核が、エネルギーとなっていく存在
い・ざ・な・み = 光が活性化された核が、実となっていく存在

 ということになります。
 このことをイメージで表してみると、
トーラス状の真ん中に位置しているのが、お・ん・なで、
その核から出たものを、しっかりと具現化してあらわしていく存在が
お・と・こという存在になるのです。
 女性は、本来シャーマンとしての素質があり、
天からの想いをまっすぐに伝え、表すことに長けている存在です。
そしていろんなものを「産んで」いく力を本質的に持っている、
中心核のような役割です。
 とはいえ、その核は、堅いものではなく、
柔らかく芽吹いていて、可愛らしくていとおしい存在…でありながらも、
凛として強く、したたかで、しなやかな存在。それが女性です。

 一方、男性の方は、その女性という神降ろしの出来る存在から得た、
宇宙の智慧、自然界の叡智を、森羅万象織りなすこの世界で、
しっかりと見える形で表し、調えていく役割になります。
 けれども、現在の社会は、女性が社会進出していきているとはいえ、
まだまだ男性優位の社会ですし、女性が持っている神性、
直観的な力を生かす、というのはまだまだ軽んじられているため、
まるで、ドーナツのように、中心がかけたまま、
頑張らなくてはいけない状況が続いているのだと思います。
 つまり、礎やみおつくしがないまま、男性は、周りをととのえ、
カタチに顕さなくてはいけなくなるので、大変なのです。
だからこそ、いつも「頑張って」いなくてはならないのです。
それでは、男性がかわいそうです。
 女性が、自分の内なるパワーに気づき、
心の奥にある熱きひだまり―おひさまのような心を持ちながら、
しっかりとまわりを照らさなくてはいけません。

【ヒミコを想う】

そのことを想うとき、いつも、ある一人の女性の姿が浮かびます。
その名は・・・ヒミコ。
(卑弥呼のことですが、蔑称なのでこの字は使いたくはありません。
実際は、姫子とか日を取り次ぐ巫女という意味で日巫女と呼ばれていたようです)
 一万年以上続いた、平和な時代―縄文時代から、戦闘のある弥生になり、
人の霊性がどんどん落ちていった時代に、大和の地で生まれた彼女は、
私自身が受け取ったアカシックレコードによると、
淡路・四国を経て、沖縄の地に渡ったようです。
その地で修業をした霊力の高い女性、ヒミコは、奪ったり、
戦ったりしやすい男たちに対し、愛と祈りで世直しをする!
 といって、武器を持たずに、太陽の象徴であるゴホウラ貝でつくった貝輪を手に、
人々に私たちのイノチの本質―太陽のような輝きを取り戻すために、
女性たちと共に立ち上がったということです。
 そうして、沖縄から奄美、九州を経て、本州にもどり、
三輪の地で、纏向京をつくったということでした。
 なお、人々の心に内在している太陽―そこを忘れないためにも、
貝輪をはめ、その名残が茅の輪くぐりとなって、八の字型にまわり、
終わりなき循環と、生命の輪をあらわしたのだということです。

 ちなみに、おとひめカードでは、ち・の・わとは、
凝集した力が接続され、調和されていくさまのことであり、
か・いというのは、力が光になる、という意味です。
 それぞれの力が集まって、やがて大きな力となり、
平和をもたらし、大調和の響きとなる、それを遂行するのは、
武器ではなく、愛である―ヒミコの想いと共振すると、
いつもその言葉が湧き上がってきます。
 そして、静かに目を瞑っていると、たくさんの女性たちが、
歌を歌い、言葉を唱えながら、戦乱で帰ってこない夫を待ち、
子どもを抱き、祈りと共に暮らしている姿が浮かびます。
けれどもそれは泣いているのではなく、なおもたくましく生きていこうとする姿であり、
いのちを生み出す性を持つ、女たちが本気となった、しなやかで力強い姿なのです。

すべては女性から生まれた。男たちをだらしなくさせたのは、女性の責任である。
女性が真に立つことで、男性は安心して国創りを始められる。
男が安心して国創りをはじめられるよう、女たちは、天地・イノチとつながり、
男が迷わぬよう、しっかり立とうではないか。

そうした想いが、静かに熱く、湧き上がってきます。
どうやら、日巫女は、ある裏切りにあい、志半ばで、
仲間の巫女たち二百人と共に、女陰を突かれて殺されたようですが、
その想いは、女性たちの心の奥底に、今も宿っているような気がしてならないのです。
 その時代と、ある意味、変わっていないのではないかという現代、
改めて、日巫女の理想とする世―ミロクの世ーを今こそ、
あらわさなければなりません。
 そのためには、一人一人の自覚と認識、高いレベルでの行動、身口意の一致が必要です。
 とはいえ、なかなか具体的な一歩が踏み出せない方に、
誰もが簡単にできる、ある方法をおもいつきました。
 それは、チームプレプロジェクト(祈りのTPP)という、
気軽な「お祈りタイム」の提案です。
 始めたのは、2013年の11月11日11時11分だったのですが、
いつのまにか世界中の人々からお声掛けを頂くようになりました。
それぞれの地域で夜、11時11分に祈ることで、
地球上のどこかが、いつも祈られている磁場が出来るのです。
 なんと素敵なことでしょう。
 実際は、気軽にはじめられて、負担のないように続けられたら、と思い、
時折、HPのブログやフェイスブックで、祈りスペシャルディを設けています。
 良ければ一緒に祈りませんか? 男も女も老いも若きも、共に祈る。
 そして、世界を愛と光でいっぱいにしてしまい、カタチへと表していきましょうね。
 新しいミロク世の鐘は、すでに心の中から響いていますよ。
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